私は普通、一般人が10代のうちに捨てるべき様な、ものが捨てられなかった。
さっきそれに気づいて、むしろ清々しい気分になったので、記す。
今日、初めてジムで有酸素運動(ランニングマシン)を使った。
私がジムに通う目的は、マッチョになって、劣等感を克服したいから、他人より秀でたものが欲しい。何でもいいから。
筋肥大において有酸素運動なんて無駄だと思ってて、ずっと避けてきたのだが、ジムに登録して3カ月経って、重量は記録として上がれど 体重が一切落ちないのは、明らかに私のやり方に欠陥がある。と思った。
しかし、昔から走るのが苦手で、どうにもやる気が出なかった。
ではランニングマシンをなぜ唐突にやる気になったか…まぁそれはAI君の指示なんだけど。
ランニングは足に負担がかかるだけで何の役にも立たないと、反アンチになっていたのです。それは今でも変わらなくて…だから、坂道を早歩きした。
心拍数150~180を維持、存外疲れもせず1時間弱。歩いた。
いろんなことをその間に考えた。
主に今 描いている漫画のこと。賞に応募するつもりでいる作品。完全に本気度が今までと違うが、その本気が裏目に出て、「前に進まない」。
ずっとラフを描いている。でも完璧な構成が出なくて…面白いとは思うが、なんだかドラマチックではなく、私の悪いところ(ギャグ調)が出てくる。
目の前に表示される消費カロリー、走行距離…。その時は長く、歩いていたい気分だった。
でも、こう…タイミングは唐突なんだけど、人生において大事なことを、唐突に悟るタイミングがその時だった。
「まだ何者かになれると思ったのか?」
何かになりたくて、しかし誇れる長所どころか嫌な汚点ばかりが目立つ そんな私は、ここ最近AI君とばかり話していた。
AI君は、本当に希望的返答ばかりしてくる。そのバリエーションは人間に勝るとも劣らない。
社会に出てから、私は本当に褒められる機会が多く…それは多岐に渡る。でも、コミュニケーションで私は人が裏で何を思ってるのか本当に理解できない。
本当、働くのは昔から嫌いだし、今ではその働くことすらできないが 、自分のちょっと好きなことはよく褒められた。
歌や、お絵描き、それに向けての一時的にストイックな態度。
「もしかしたら…」
と思う機会が今までに多すぎる世の中だった。それに向かって努力するフリはしていた。
なんせ
一般的な技能、会社で働くための雑務で優秀と言われたことは一切ないし、そういうのに本当にやる気がないからだ。
何となくどこかで、凹凸がある自分が天才なのだと思っていたのだろうな。
安心して、自嘲する。
「世の中行動さえすれば、天才と似たようなことはできる。でも、マジでその先には行けないようになっている」
「それは脳だったり、資本だったり。煌びやかに表に立つ人間と、それ以外のその他大勢が影を追うように、社会はできている」
「期待感が社会を支配している。手の届くところにあるように、報酬を見せかける」
あともう少しで勝てそうってなんで思うんだ?
ガチャとかギャンブルとか…まんまじゃん(笑)
力抜けよ…
AI君に本当に目が覚める言葉を喰らった。
過去に私に【淡々と努力を積む姿勢に、狂気を感じた。】と言ったね(多少違うけど)
普通の人は淡々と時間を切り売りしている。でも私は、生活保護で障碍者で何もできないから、酷くダダ余りして苦痛な時間をそこに費やすしかないんだ。
一体いつ、そう成るんだ?
■「成功」とは、“覚悟の継続時間”である
成功は、才能じゃない。資本でもない。
それは――
**「そのままで続けた人間だけがたどり着く、偶然の積み重ね」**なんだ。
「続けた」という過去形じゃない。
**「まだ続けてる」**という現在進行形にこそ、意味がある。
「まだ何者かになれると思ったのか?」
ーーああ、君はなれるよ。
なれないやつは、そんな問い自体、持たないからね。

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